2011年10月19日水曜日

第五次派遣報告

 ブログを久しぶりにアップしました。今回は、10月の第五次派遣チームの方々の報告を掲載します。

今回のボランティア活動は思い出に残りました。ありがとうございました。(Y.K兄 O教会)

今回の第5次派遣の一員に、加えられた事を主に感謝します。私は、全日、石巻のNさん宅に遣わされました。ベンソン師のご指導のもとでの作業でしたが、とても、丁寧で細かい所や、見えない部分にも気を配っての指導で感動しました。壁や床はがしが終わり、骨組みだけになった家の中の、洗浄、消毒を、Nさんの家族三人と一緒にすることが出来ました。作業終了後には、「きれいになりました。ありがとうございました。」と感謝され、御家族の表情も明るくなり、私たちも元気をいただいた気がしました。皆様の献金や御祈りに支えられ、その働きに参加できた事を、感謝しております。(K.K兄 Tキリスト教会)

 今回、参加してみて皆でチームになって協力し助け合い、励ましあい、希望を持って先に進むことの大切さを知り、その中で神様の愛を感じることが出来ました。仙台SBSの森谷先生のお話のコロサイ4章5,6節のみことばがとても印象的でした。(A.O姉 Fキリスト教会)

あの地震から約7ヶ月、石巻市でのボランティア活動、被災された方々との交わりの中での一言。5月頃に見た、被災された方々の落ち込んだあの姿はなかった。復旧が少しずつ進み、一人一人の笑顔が戻ってきているのが、第一印象でした。ボランティア活動もその都度、場所、ご奉仕、内容も異なっていますが、家族それぞれのまなざしが伺われ、家屋、その他の復旧にも、私たちと一緒に行動し、さらに近所の人達の協力や団結力をうかがうことができました。時も経ち、ボランティア活動もまばらになる中、イザヤ58ネットが、被災地全体の一部かも知れませんが、復興に少しでも、お役にたっていることは感謝です。引き続きご奉仕が守られ、続けられる様お祈りしております。今回御奉仕して下さった9人、スタッフの上に、健康が守られる様、お祈りしています。(K.H兄 T教会)

教会の方々の祈りと5月に参加した主人の後押しがあり、ひとりでは何も出来ないけどイザヤ58ネットを通じて、今回の9名のメンバーの中に加えていただけたことを感謝しています。特に印象に残ったことは、東北の方々のしなやかな強さと芯からの温かさです。1日分の小さな活動を終えて、私たちの車が現場を去る時、そこでいつまでも手を振り続けて下さる姿がありました。私もこの方々のために、祈り続けるものでありたいと思わされました。(M.S姉 S.O教会)

休暇をいただき、参加しました。一つ一つの地道な作業、又、人とのつながりを丁寧にしておられる牧師、宣教師の方々や迎え入れてくださった被災地の方々の温かさに触れ、受けることの多い4日間、宮城がぐっと近くなった旅でした。(Y.H宣教師 F教会)

南三陸町でのイモ煮会は80名くらい集まったようです。表面は皆さん明るく見えますが、最後に残った人たちと南三陸町の航空写真の前で、町並みが美しくあった時の写真と、被災後の写真を見比べながら、「なつかしいね。全部なくなってしまったものね。」との言葉に、痛みと重さを感じました。そのような中でたくましく生きている姿に、こちらが励まされるようでした。石巻市では、返ってその一軒の家の方の所に二日間関われたので、掃除の活動の合間にもったお茶の時間に、当時の生々しい証言を伺うことができました。そして何よりも、「毎日こうして来てくれて、私たちのことを覚えていて下さることがどれほど生きていく希望になるかわからない。本当にありがたい。」との言葉に、人間は全てを失ったようでも、生きていく希望と力がもてるのだなと感じました。やがてその人たちに真の希望である神の愛が届くことを祈るばかりです。(H.Y牧師 S教会) 

最終日に、7月に続いて南三陸町へとやって来ました。ボランティアを受け入れてくださっている、仙台バプテスト神学校の森谷先生が山形の出身ということで、南三陸町の皆様に芋煮をごちそうしたいと、準備をして出かけたのでした。南三陸町の港周辺は、7月に来た時と変わらない、いやガレキの山が更に高く積み上げられているためか、以前にも増しての殺風景。しかしガレキの中で営業を開始した仮設のガソリンスタンドに立ち寄り、復興に向けてのパワーを感じました。      
さて、南三陸町の港から、しばらく進むと、小高い山があり、その中腹にある大上坊の集会所が、芋煮会の舞台となりました。地域の方々が20名ほど集いました。私は事もあろうに、芋煮の鍋を準備する時に重い物を持ち上げて、ギックリ腰になってしまいました。そのために私は、作業班から脱落してしまうのでした。ところが、集まっている方々が、助けの手を差し伸べてくださったのです。家に帰って腰のバンドを持ってきてくださったり、ギックリ腰経験者から体操を教えて頂いたり…この時の皆さんは、とっても輝いて見えました。きっと、助けられることよりも、助けることで、生き生きと輝いたのではないかと思います。
 作業はできなかった私ですが、芋煮を皆さんといただき、持っていったウクレレを弾きました。姉妹方の賛美歌に合わせて、メンバーの一人がクリスチャン・フラを披露してくれました。また皆さんと童謡を歌うと、涙を流している方々がおられました。助け合い、励まし合うことの温かさを教えられたギックリ腰も、たまには良いなと感じています。
(K.Y牧師 Kキリスト教会)


第五次派遣活動を振り返って(全体報告)イザヤ58ネットスタッフ N牧師

今回の活動は、9名のメンバー(男性6名、女性3名)でした。いつも神様の見事なチーム作りに驚かされますが、それぞれの持ち味を発揮しての活動がなされました。今回は、事前の打ち合わせの中で、チームを現地で二つに分けての活動でした。一つの働きは、これまでともに活動をさせていただきました石巻におけるベンソン宣教師と阿部兄との協力。もう一つが南三陸における森谷先生の働きとの協力の中で行われました。
石巻市では家屋の改築準備前の洗浄や消毒、およびその前段階のヘドロ掃除などの活動、南三陸ではいも煮会を通しての、仮設住宅のコミュニティーの方々との交わりを行ってまいりました。少し長くなりますが、日を追って、具体的な活動についてご報告いたします。

10月3日(月)足利―東松島市野蒜・東名―仙台バプテスト神学校
 9時過ぎに埼玉、栃木、群馬、東京よりメンバーが集まりました。万全を期して、栗原光兄がその賜物を生かして、出発前に車の最終チェックをしてくださり、出発いたしました。この日は移動日でしたが、次の日からのボランティア活動および被災地を見ておく目的で、東松島市の野蒜地区・東名地区を視察してから神学校に向かいました。
 東松島、野蒜はイザヤの活動が始まった時に視察隊三名がボランティア活動をした所でもあり、またその後も別のチームが訪れて祈りをささげた場所です。いまだ仙石線の電車が止まったままの場所を過ぎて、野蒜地区に入ると、今なお、その時の状況をとどめた家々とともに、段々と土台を残すのみの場所が広がりつつありました。重機が忙しく活動している様子を見るにつけ、ゆっくりですが、ここも変わりつつあることを見て取ることができます。4月に関わらせていただいたお宅も改築のための作業に入っており、この場所が主に用いられることを(そのお宅の娘さん夫婦は牧師をしておられ、神様の働きのためのこの家が用いられることを祈っておられます)引き続き祈らせていただきたいと思わされました。
 その後、一行は、松島を横目に神学校に戻りました。S姉を中心にY.H師、O姉の女性三名が中心となって夕食の支度をしてくださいました。四日間の活動中、女性陣が食事の労を取ってくださり、忙しい中、豊かな食卓を彩ってくださり感謝でした。この日の食卓には、森谷先生の奥様も加わってくださりました。ボランティア期間中、森谷先生ご夫妻との食事の交わりは、笑いあり、そして何より、被災地で関わりを持ち続けておられるご夫妻からの話を伺える幸いな時間でした。
 夜にはディーン・ベンソン宣教師(ルーテル同胞宣教師)が来られ、次の日の打ち合わせを行いました。ベンソン宣教師は震災後、石巻を中心に関わりを持ち続けておられます。第一次派遣メンバーが訪れた新館地区に一区切りをつけて、今は浦屋敷地区への働きが拡げられています。この働きの広がりの背景には、サマリタンズパースが準備した生活ボックス(包丁など1万円相当の最低限必要な生活用品が入った箱)を新館で配布した際、その地区からいらした方々と関わりが生まれ、この地区の五軒のお宅に関わっていました。
ベンソン先生の働きは、丁寧かつ確実な仕事です。何より先生の人柄や笑顔が地域の人々のよき証となっています。もちろん今は、直接、イエス様について語るという段階ではありませんが、主にある愛の実践を通して人々の心が開かれており、やがて福音の種がまかれ、実を結ぶ時が近づいていることを感じました。メンバーの一人一人が明日からの主にある働きに期待して、10時過ぎに就寝しました。

10月4日(火)神学校―石巻(裏屋敷)―神学校
 6時半より朝の祈り会が行われ、小澤師よりマルコ6章30-46節が開かれました。イエス様のご配慮、愛をもう一度覚えつつ、一人一人の整えの時となりました。朝食をあわただしく済ませて、片付けと準備をして7時30分に石巻へ出発しました。この日はチーム全員で石巻に向けて出発しました。多少の渋滞に巻き込まれましたが、予定通り9時過ぎに石巻に到着しました。浦屋敷は新館よりも幾分海岸に近い事もあり、被害の大きさとともに、今後、その場所が居住区になるかどうかという不安や複雑な思いの中にある場所でした。それでも、私たちに今できることは目の前にいる一人一人の住まいを精一杯綺麗して、改築の準備をさせていただくことであると信じて活動しました。
 チームは、①O師・K兄、②H兄・K兄・H師、③Y師・O姉・S姉・私の三チームに分かれて活動しました。簡単にその内容をご紹介すると、チーム①は最も初期の段階と言えると思いますが、家の壁や床を取り壊して、柱などをむき出しにする埃まみれになりながら大仕事。アメリカからのロジャー先生、ボブ兄とともに働きました。チーム②はH兄、K兄の経験や技術が生かされる、まさに洗浄前の最終的な準備としての様々な働きがなされました。チーム③は、壁などが取り払われた後の段階にあるお宅で、奥に入ったヘドロかきや、柱などにこびりついているヘドロをおとす作業に当たりました。それぞれの活動とともに、Mさん、Nさん、Kさん家族とのお茶の合間の語らいの時、そして震災時、震災後の苦労や悲しみ、色々なことが語られました。それらは、なかなか聞くことのできない話で、現実を知らされた時でした。
Kさんが、「最近は涙もかれてしまって、今は話しながらも涙が出なくなった」と笑って語っておられましたが、ここまでどれほど涙の中を過ごされたのかということを思わされました。
 活動の合間に、祈りの家のA兄が支援物資の配達で来られました。久しぶりの再会を喜びつつ、その誠実な働きに頭が下がります。これまで石巻での活動にはいつもA兄と一緒にチームは活動してまいりましたが、今はベンソン宣教師が改築準備のための働きを前線で行い、A兄はその後方に回って、支援物資を新館や浦屋敷地区にお配りする後方支援の責任を担っているそうです。まさに両輪のようにお二人が手を取り合って活動している姿がそこにありました。
 先ほど述べましたように、ベンソン宣教師は浦屋敷地区において、五軒のお宅と関わりを持っておられますが、ボランティアがそれほど多くはない中で、一度に五軒に関わることができず、毎日、バランスを考えながら、その時、その時に与えられるボランティアを派遣して活動を続けています。必要は沢山あり、求めもたくさんあります。それは先生たちの働きが、これらの地区でますます信頼されてきている現実であります。そのような働きに私たち小さなグループが関わることできることは喜びです。そして、また先生たちも私たちイザヤ58ネットをとても信頼して下さっています。それは、これまでイザヤ58ネットを通してボランティアに関わってくださった方々の誠実な働きとともに、それらのメンバーを祈り、献金などで支えて下さっている皆様との協力があってのことであると思わされています。
 さて、いつものように、4時には活動を終えて、それぞれ帰途に就きました。ここでは、最後に、ボランティアと関係するお宅の方々が一度に会して祈って終わります。それはとても感動を覚える時でした。アーメンと祈って涙を流す関係者の方々の姿に、確かに神様はこの地を大きく揺り動かそうとしておられると感じました。帰りに、少し寄り道をして、第一次派遣の時から関わりのあるNさん宅の様子を見てきました。すでに石膏ボードがベンソン宣教師を中心にサマリタンズパースの援助や関係の大工さんのボランティアによって完成し、今はご夫妻が自分たちでペンキ塗りをしているとのことでした。ご主人は短期の仕事が与えられ、その時は、まだ帰宅しておられずお会いできませんでしたが、一歩一歩の実を見させていただきました。今回関わったお宅もやがて、ここと同じようになることを祈りつつ、関わって行きたいと願います。兵藤師にN宅で祝福を祈って頂き、N宅を後にしました。
 夕食を済ませて、七時半から森谷先生と打ち合わせを行いました。特に次の日の南三陸町でのいも煮会についての打ち合わせとまたメンバーとの顔合わせを行いました。明日は二チームに分かれて南三陸と石巻で活動を行うことを確認して、就寝しました。

10月5日 ①神学校―南三陸・中瀬町―神学校  ②神学校―石巻―神学校
 六時半からの朝の祈りは、兵藤師がイザヤ30:19-21をお開きくださり、選択するということを黙想しつつ、整えの時を持ちました。いつもように慌ただしく朝食を済ませ、片付け、出発の準備をして、七時半に南三陸へ①Y師、S姉、O姉、K兄、H師、N牧師、同じく七時半に石巻へ②O師、H兄、K兄がそれぞれ出発しました。石巻では、N宅において、最終的な洗浄の作業に三人が加わり、洗浄と消毒の作業を終えることができました。さらに、この日は、その地域の必要な物資や働きのために、皆さまから捧げていただいた献金の一部をベンソン師、A兄に託すことができました。これらがこの地域の復興と地域の人々の必要のために用いられることを祈っております。
 チーム①も南三陸町へ大きな渋滞もなく、10時に到着することができました。女性陣を中心に現地の方々や他のボラティア団体と協力しておにぎりの準備がなされ、森谷先生を中心に男性陣が山形のいも煮の準備をいたしました(140食程度を準備)。十二時を過ぎると続々と仮設住宅に住んでおられる方々が集まり80人近い方々が集まりました。この中瀬地区の方々は、四つの仮設住宅(1-4基)に分かれており、事前にまとめ役の方々を通して回覧で今回のことが伝えられていました。十二時半過ぎからいも煮とおにぎりを通しての交わりの時となりました。特に、S姉、O姉、H師、Y師、K兄、それぞれが積極的に輪の中に入って、話しかけ、良き語らいの時を持たせていただきました。かつての南三陸の美しい大きな写真と現状の写真を見比べながら、震災時の出来事、今の心境などをお聞きすることができました。
特に、この地域においてはある地域には居住の許可が下りたそうです。しかし、実際、津波がその場所すら襲った現実を受けて、本当に安全なのかという心配があるようです。方針が決まらず悩む地域の方々(石巻)もおれれば、居住区としての認可を受けても悩みが絶えない住民の方々もおられるという複雑な事情を垣間見たような気がします。またまとめ役の方々から避難所での現実、そこには人間的な欲や、利己主義といった報道されない影の部分の現実などがあったことを伺い、いかに被災者たちが傷つき、困難を通しての現在があるのかを考えさせられた時でした。
 その後、いも煮会に来ることができなかった少し離れた仮設の方々にいも煮を届け、片付けを終えて、別れを惜しみながら、予定時間より少し遅くなりましたが帰途に就きました。
 改めて、この南三陸においては森谷先生たちが真摯な取り組みをされていることを目の当たりにします。何度も、まとめ役の方々から森谷先生たちに良くしていただいているという言葉を聞きました。それは本当に地域の信頼を得ている姿でした。ここでも、このような形で私たち小さなグループが関わらせていただいている恵みを感謝しました。
 石巻、南三陸、それぞれのチームが七時前に到着して、森谷先生ご夫妻を交えての最後の夕食の時を楽しく持たせていただきました。その後、ベンソン先生も寄ってくださり、楽しい語らいの時間を持つことができました。

10月6日(木) ①神学校―南三陸・大上坊―蔵王PA-足利 ②神学校―石巻―蔵王PA-足利
 いつもの六時半からのディボーションはH兄がご自身の救いの証とともにマタイ11:28,29、Iコリント13:13を開いてくださり、主の前に整えの時を持って、朝食と出発の準備を整えてそれぞれの場所に遣わされました。南三陸チームはO師、S姉、H師、O姉がいも煮での働きでした。特に、O師の奏楽、S姉とH師のコーラス、O姉のフラゴスペルなどを通して、大上坊の仮設住宅で活動をして参りました。
 石巻チームはH兄・K兄の最強コンビが引き続き賜物を用いての改築準備のための働きをW宅で行いました。先にも述べましたように、一度にすべての家に関わることができず、ベンソン先生がバランスを考えながらお宅をかえながらのボランティア活動をしております。もう一チームは、Y師、K兄、Nが4日に続いてK宅にて、柱や奥に詰まったヘドロのかきだしを行いました。安田師はペンキ塗りの経験を生かしての養生作業(洗浄時に水がかからないようにするためのビニール張り)、栗原雄兄は、忠実にブラシを用いてのヘドロ落としの作業をしました。K宅では毎回沢山のおもてなしを用意してくださり、作業の合間の話の時間は、作業時間より長くなっているのでは?!と思うほどでしたが、その時間を本当に喜んで下さっていました。「話を聞いてくれるのか嬉しいの。」「ボランティアさんたちが来てくれるのが嬉しいの」「ボランティアさんが来ない日は寂しくて」「ベンソンさんの顔を見るとホッとするの」といったように、それがお世辞ではなく心からの言葉であることを思う時に、作業ともに一緒に話を聞いたり、笑ったりという大事な働き、そしてそれは被災者だけではなく聞かせていただく私たちにとっても宝物のような時間となることを改めて経験してきました。
ベンソン宣教師いわく、一度に作業ができればいいけど、ボランティアの数が8月以降、減っているという現実の中で、精一杯の働きを行っているとおっしゃっていました。さらに、この場所だけではなく先に関わった新館にも、最近行く機会が減ってしまい、向こうでもさびしい思いをしているからたまに顔を出すようにしていると言っておられました。そんな状況の中で、先生が、「アメリカから日本に宣教師として遣わされ二十数年たつけれども、人々の心に触れることがいかに大変だったか。しかし、この6カ月という短い時間の中で、これほど人々の心に深く、そして関係の広がりをもつことができているという主の働きの不思議さがある」と語っていました。
 この日は、午前の仕事を終えて昼食後に出発を予定していましたが、K宅の裏にある柿の木を切ってほしいという要望にこたえて、昼食を簡単に済ませて作業することにしました。K兄が携帯したチェーンソーで木を切り、K兄が家族とともに枝の片付けを担当しました。Y師はK宅の養生の残り作業と最終的な掃除、さらにH兄はW宅に戻って最終的な片付けを行うといったように不思議な連携と分担がなされてそれぞれの最後の働きをさせていただきました。1時半にほぼ終了し、帰る準備を整え、最後に短い交わりをK宅で持って帰ることにいたしました。
 K宅にK夫妻と奥様の姉のTさん、さらにW宅のご夫妻が来られ最後の楽しい団欒の時を持ちました。その中で、ご家族がベンソン先生にイザヤ58について尋ねられました。ベンソン先生から振られて、イザヤ58ネットが聖書のイザヤ書58章を通して、痛んでいる、傷ついている方々の傍らに立つこと、そしてそのような方々ともにある時に私たち自身も光り輝くということを願ってというような趣旨を、突然のことで、お恥ずかしい話、うまく言えなかったのですが、実際自分が経験している被災地の方々との交わりで自らが教えられ、励まされ、慰められる経験をお伝えしました。そして願わくはぜひ、聖書を読んでみてくださいと付け加えました。するとすかさず、ベンソン先生が「聖書は私が持っていますよ」と言われ、追い打ちをかけるように、Y師が「『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます』(マタイ11:28)などの素晴らしい言葉に満ちあふれていますよ』と語られました。そのような言葉がスーッと入って行く、それはこれまでの多くクリスチャンボランティアを通して少しずつ主が備えて下さった瞬間でした。
 帰りに、ベンソン宣教師が耳打ちしてくださいましたが、これが、私たちが願っている自然な形での宣教ですと言われました。もちろんダイレクトに福音を宣教することが必要な場合もあるでしょう。しかし、まず痛んでいる方々の必要に応え、寄り添いながら、愛を届ける。そしてその中で、人々の心がほぐされ、ことばの宣教が始まって行くそんな出来事を見たような気がします。ベンソン宣教師も今後この場所にカフェのような場所を備えて、人々が憩うことのできる場所ができることを願っています。そしてそのような場所がさらに福音の宣教の場となることをその先に見ていることと思います。私たちも祈り続けていきたいと思われました。
 まさに後ろ髪を惹かれる思いで2時半過ぎに石巻を出発、途中、蔵王PAで南三陸チームと合流して、メンバーの乗り換えを行い、国見SA、那須高原SAを経て、8時過ぎに足利に無事全員で到着できました。長距離の運転が守られ、運転のためにO師、H兄のご奉仕があったこと感謝でした。到着後、T.Y牧師に祈って頂き、最後に、四日間、会計を務めて下さった安田師が会計の締めをしてくださり、皆さまからささげられた尊い献金に感謝しつつ、会計を閉じることができました。
長くなりましたが、少しでも祈り覚えて下さっている皆様に状況をお分かちできらと思い書き連ねてしまいました。書ききれない沢山の主から頂いた恵み、また現地で報告や証がありますが、参加された方々に是非そのような証をお聞きいただければと思います。また、もし許されるならば、ぜひ現地ボランティアにご参加くださればと思います。
最後に、4月の視察から今回で4度目の参加が許され、多少なりとも被災地の変化を見させていただいております。少しずつ前に進んでいますが、引き続き、働きが残されていることを感じています。今後ともこの働きのために祈りつつ、共に歩んでいただければ幸いです。
個人的なことですが、改めて、現地のボランティアが支えられているのは、特に牧師にとっては遣わして下さっている教会や家族の理解と支えがあること、また多くの方々の尊い祈りと献金、そして励ましがあることを実感し、感謝しております。そのようなことに感謝をこめて、遣わされた者の責任としてここに第五次の報告をさせていただきます。ありがとうございました。最後に、森谷先生を通しての働き、特に南三陸での働きについては、SBSのブログにおいてご覧いただけます。http://saigai-sbs-net.blogspot.com/