2011年8月19日金曜日

南三陸町支援会議

 今日19日、仙台の仙台SBSの拠点である仙台バプテスト神学校におります。昨日、南三陸町の第二次避難所にもなっているホテル観洋という南三陸の湾を一望できる大変、景色の良いホテルで、「南三陸町の支援を考えるネットワーク会議」がありまして、その会議にイザヤ58ネットも会議に参加して欲しいということで、参加いたしました。
 当初、20名程度の規模の会議と予想していましたら、60名規模の参加者となり、こんなに南三陸の支援に関わっていたのかと正直いって驚きました。
 クラッシュジャパン、飢餓対策機構、サマリタン・パース、キャンパスクルセード、東北ヘルプ、宮城ヘルプ、ブリッジ・フォー・ピース、また仙台地域の被災しながら支援活動をしている教会、キリスト聖協団グループ、同盟教団、JEA震災対策室、ブリッジ・フォー・ピースなどでした。
 すべてが、南三陸町を継続的に支援している団体とは限りません。初期に物資支援などをしていたグループ、ボランティアを派遣していた団体、そして、これから、具体的福音宣教をすることを考えているグループなど様々です。
 ある団体は、直接的に南三陸町の地域を支援するという働きではなく、「葬儀支援ネット」始めたグループの方もいました。そのきっかけは、ある仮設住宅で、被災者同士で口論となり、一方が興奮して相手の家に安置してあった家族の犠牲者の遺骨を投げつけてばらまいてしまった事件があったそうです。そのばらまいた人の家族は津波で犠牲になり、まだ遺体も見つかっていないひとだったそうです。そのことを通して、葬儀も金銭的にできない、お墓も用意できな人たちのために、葬儀の司式をする牧師を紹介し、その費用は支援組織で援助する。また納骨も、教会の納骨を了解してくれた教会を紹介していくという働きを開始したグループの説明があったそうです。
 もし、教会の納骨堂にあずかってもいい教会があれば、ちょっと遠いのですが紹介していくのもいいなと思いました。
 このことを通して、支援には、様々な形があり、多種多様で、本当に創造的な支援が必要とされるということを教えられました。
 今回、予想以上に、参加団体が多く、それぞれの活動状況を報告することで終わり、具体的な今後の活動や協力のあり方について踏み込んだ話しは時間的にできませんでした。
 しかし、たった二時間ですが集まったことの意味は大きかったと思います。私たちと当初から南三陸町の地域に支援をしていた仙台SBSや、またそこに協力している仙台の教会の支援グループは、南三陸町の行政と連絡をとり、率直な意見交換を通して、徐々に行政の信頼関係を築き始めています。
 町の復興のために、行政の側も、私たちボランティア支援団体の力を必要としております。なぜなら、町の機能が壊滅状態で、また国からの具体的な方針が示されていない中で、これから、仮設住宅の住人、町の機能の復旧と、次から次と課題が多く、行政も手が回らない状況です。
 今回、重要だと思ったのは、この会議に参加した団体の名簿を行政に知らせて於いて、町の地域や仮設住宅への支援の働きかけについて、「この団体なら安心です」といういわば行政から了解を得ることです。
 今、東北の被災地に、様々なカルトが支援の名目で入り込んできています。中には詐欺まがいの支援活動をするグループもあるようです。そのような中で、行政と連絡を取りながら、行政が届かない地域に訪問して対話してあげて欲しいという、行政からの要請なども聞けることです。
 また、支援を受けた地域の中心的な人たちとの信頼を得るきっかけになります。地域のリーダー(地区の区長など)と関係を持つ中で、その地域だけでなく、他の地域で支援を必要としている集落の存在がわかることです。
 今回、会議の後に、米広という小さな山間の集落に行きました。そこは、谷間の集落ですが、新しい住宅街およそ40戸ほどの谷間の低い地域にあった住宅が、津波で全部流されて、住民50名のうち40名ほどが犠牲になった地域でした。津波の影響を受けなかった家に避難している人たちがいるそうです。
 その地域のリーダー的な方の農家を訪問しました。いくつか津波の直接的被害を受けなかった残った家は、農家がほとんどですが、山間の奥だったため、津波の被害を受けていないのですが、農作物を収穫しても、南三陸の農協が壊滅して建て直しの最中のため、売るための販路がないようです。現金収入のめどがたたないという問題を知りました。とりあえず、その収穫して販路がない野菜をJA(農協)へのお卸値で購入して、避難所や関係者に配るようにしました。この方を知ることを通して、今後の支援の課題、物資支援の次にある課題について見えてきたような気がします。いままでの支援物資を被災地に運ぶ働きも継続させる必要がありますが、同時に、販路のなくなった農産物や水産物を、物資を運んだ帰りに、それらを購入してあげて、持って帰り、私たち教会の関係者が購入してあげることも検討できないかと考えました。私たちイザヤ58ネットの関係教会は、農業地域の教会もあるので、できたら、そうでない、都会などの教会に呼びかけることができないかを検討する必要を感じております。
 今回は、各支援団体の活動状況の報告で終わりましたが、行政と被災者たちとのブリッジを私たち支援グループがどう構築できるかについて、踏み込んだ話し合いが必要のようです。物資の支援の先にある、雇用の問題、仮設住宅の生活に伴う様々な不安、取り組むべき課題が徐々に浮かび上がってくる感じです。
 イザヤ58ネットの今後の活動方針についての、方向について、示唆をあたえられた南三陸の訪問でした。

2011年8月8日月曜日

7月ボランティア派遣報告

第三次全体報告
 今回の支援活動の大きなものは、南三陸の被災者たちとの、バーベキュー大会を実施したことです。
これは、単に支援チームと被災地の方々との交流ということ以上に、地元の地区の中心的な方たちが、願ったことでもあります。この地区は、津波で全壊した家などがある地域でないのですが、そのためかえって支援物資が行き渡らず困窮していた所でした。十分な支援を受けない中で、地元の人たちとの間もギスギスした雰囲気がでて、何とか昔の和気あいあいとした地域に戻したいという願いで、地域同士の人たちの懇親と
少しでも明るいことをと願ってのことでした。
 また、石巻での復旧活動もお手伝いをすることができました。一方、南三陸に行ったチームは、行政の人や避難所の人たちとの情報交換をしてきました。
今、被災地での今後の課題は、自殺者がでるのではという不安があり、そのケアを行政も避難所のリーダーも心配していることです。
現実には、支援の40%は、支援団体の支援に頼っているのが現状です。また、町としての機能が完全に壊滅しているため、人々が集まる場所もないのが現状です。
 南三陸の一番大きな避難所である志津川高校の避難所も8月一杯で閉鎖となるそうです。
 一方、石巻では、津波の跡は海岸部では、まだ傷跡がなまなましく残っており、復旧活動もまだまだ続けなければならない状態です。
イザヤ58ネットでは、9月5日~8日の第四次派遣のボランティアを募集しております。

活動報告
25日
13名が3台の車に分かれて、午前9時半頃に足利を出発。途中、那須高原SAや安達太良SAなどで合流することもありましたが、基本的にそれぞれのチームで昼食をとり仙台へ。
午後2時過ぎに仙台バプテスト神学校へ到着。午後3時より打ち合わせ、特に次の日のバーベキューの買い出しや期間中の流れを確認した。
午後4時より、バーベキューの材料の買い出し班と、バーベキューの道具の準備班、食事班に分かれて活動。
午後6時より夕食。自己紹介を兼ねて仙台SBSのM先生ご夫妻を交えての歓談。M先生ご夫妻とは四日間食事を共にすることができた。夕食後7時より、材料(玉ねぎ)や物資(ネギ)の下準備、片付け。午後8時より、バーベキューの担当やチームの活動の確認の打ち合わせ。
26日
食事担当責任者のY姉を中心にお弁当の準備。午前7時よりディボーション。マタイ24章1-14節がO師より開かれる。朝食を終えて、午前8時より野菜切り、おにぎり、出し物の練習等、それぞれの役割を果たす。カンバーランド希望の丘のO姉がチームに加わる。荷物を積み込み、午前11時に南三陸へ出発。蔵王バプテスト教会のT師加わる。 ホテル観洋に、午後1時に到着し昼食。午後2時に、3名のメンバーがT師たちとともに旭が丘へ。残りのメンバーは森谷師ご夫妻とともに、大森地区へ。コンサートの会場づくり、屋根づくり、バーベキューの準備など、それぞれが役割を果たしつつ、大森の方々や他のボランティア団体との交わり。
午後4時よりバーベキュースタート。100名程度の方々が参加。K兄の手品や賛美、小澤師の賛美と解説に続いて、韓国からいらしたゴスペルデュオ「宝を入れた土の器」のコンサートが行われる。数名の子どもたちと遊ぶ。午後7時に終了。午後9時に仙台バプテスト神学校に到着。簡単な打ち合わせを行う。
27日
お弁当の準備。6時半よりディボーション。詩篇90:16-17節がM.N姉より開かれる。朝食後、石巻チーム10名は、7時20分に出発。9時半に石巻へ到着。ルーテル同胞のベンソン宣教師と阿部一さんと合流。また、前日に続きT師、A兄、またY兄、S姉が加わり「畑のヘドロかき」と「土に混じった携帯のパーツ除去」、「雑草等の片付け」の三班に分かれて活動。午後12半より昼食。途中、第一次派遣(5月)の際にお世話になった中川さんと再会。午後1時半より活動を再開。午後3時半に片付けを始めて、午後4時に帰途につく。帰りに、視察の時(4月)に関わったT師のご実家及び野蒜地区や東松島の現状を視察。午後7時仙台到着。外食先で、チームのメンバーの証を交換し合う。
南三陸チーム3名はM先生ご夫妻は南三陸へ。現地でカール兄の賛美と手品や「宝を入れた土の器」のコンサートが行われるが、途中雨で中断する。働きを終えて、仙台で外食。両チームがそろったところで、午後9時半より全体ミーティングを行う。
28日
お弁当の準備。午前6時より掃除や帰りの準備。6時半よりディボーション。第一ペテロ4章7-11節がカール兄より開かれる。朝食をとり、帰りの荷物を積んで7時20分に石巻チーム11名が出発。9時30分到着。現地で4名の外国人ボランティアと1名の日本人ボランティアが加わり、前日に続き、「畑のヘドロかき」と「土に混じった携帯のパーツ除去」、「建物内の片付け」の三班に分かれて活動。午後12時半より昼食。午後2時、横浜のカンバーランドから来たM姉と別れて、足利に向けて出発。午後7時足利に到着。
南三陸チームの3名は午前8時半に出発。10時40分に到着。避難所のリーダーから様々なことを教えられる。また被災地の現実の姿や課題を目の当たりにする。12時30分に出発。他のチームと同じく午後7時に到着。
ボタンティア参加者の報告
 回初めて参加させていただきました。最初から舞いあがっていて周りに迷惑をかけていたことが多かったと思います。実際に被災地に行ってみて、テレビの映像で見ていたものが、3Dの立体に広がり、声も出ない気持ちになりました。このことは、自分の中で一生忘れられない経験になったと思います。神様がなぜ、このような悲惨なことをなさったのか、私には理解できないが一生の祈りの課題として、少しでも神様の声を聞くことができるようにしていければと思っています(大間々T.Y兄)

 今回の派遣に加わることができたことを感謝しています。少しでも人の役に立つことができたとすれば、本当に幸いなことだと思います。教会の礼拝や祈り会での祈り、一人一人の祈り、みことば、現地のキリスト者の働き、教団や牧師の働き、物資支援集めなど、主にあるいろいろな働きがお互いに影響し合い強め合って、様々な形で隣人を助ける働きとなっているのだと思います。キリスト教界では、被災地域へと進出する動きがあると教わりました。困難の中にある人に対して具体的に支援をしながら、みことばを宣べ伝えようということなのだと思います。炭鉱労働者の救いのためのマイナーズミッションという働きがあると聞いたことがありますが、状況が少し似ているように感じました。M師が話されていた「宿題」を記しておきたいと思います。津波の被害にあった場所では、体の比較的弱い方や不自由な人が生き延びて、比較的健康な人が被害にあう、というケースがあったそうです。その理由は、健康な人が不自由な人を安全な区域へ連れて行き、また危険区域に入って行って別な人を連れ出す、そのことを繰り返しているうちに津波の被害にあってしまったからだそうです。それはなぜか、それで本当に良いのか考えてみてください、という内容だったと思います。(本庄M.Y兄)

今回のボランティア活動を終えて、四日間を通して,被災された人たちのお役に立ててうれしかったです。いくつかのプログラムも楽しく出来ました。南三陸や石巻は崩れなども沢山ありましたが、被害を受けた人たちのため、沢山の人たちで助け合いました。僕はバーベキューの手伝いや力仕事の手伝いなどを行いました。バーベキューの仕事が大変でしたが、仕込みなども自分でいろいろやって、みなさんの笑顔をみることが出来て良かったです。途中、少し疲れたけれどとても良い体験が出来たと思います。石巻では畑の中の作業を行いましたが、泥が大変で、土の埃が一杯あって辛かったです。掘るのにも非常に大変でしたが、少しはみなさんの力になれたらと思いがんばりました。この四日間のボランティア活動を振り返ってよい体験が出来ました。(太田Y.K兄)

「南三陸町の皆さんの笑顔」
 今回のボランティアで印象に残っているのは、南三陸町の方々とバーベキュー&ミニ・コンサートの時を持ったことです。出発前に「ウクレレ持って来て下さい」と声をかけて頂き、打ち合わせとして童謡の演奏をすることになっていました。正直いいますと現地の人々の状況が分からず、どんなことを話し、どんな顔をしてウクレレを弾けばいいのだろうかと心配もありました。ところが南三陸町の方々は私たちボランティア一行を温かく受け入れて下さり、笑顔で迎えて下さいました。コンサートも前日になって韓国からプロフェッショナルのゴスペル夫妻デュオが参加してくださることになりました。その前座として、K兄がギターを弾き、歌うとともに手品を披露しました。その後、前座パート2が私でカールが場を和ませていたことで意を新たにし、ウクレレ漫談をしました。讃美歌と童謡について話し、讃美歌「まもなくかなたの」が俗謡「タンタンたぬき」を生みだしたエピソードを語りました。誰もが知っている童謡「ふるさと」を弾くと皆さん声を合わせて下さいました。言うまでもなく、その後のゴスペルデュオのコンサートは素晴らしく圧巻でした。歌と演奏の素晴らしさだけでなく、クリスチャンとしての証にあふれていました。その間、少し離れた所で、バーベキューがイザヤ58ネットのメンバーによって用意され、焼きあげられました。メンバーの一人一人が奉仕に徹し、焼きあがったバーベキューのおいしかったこと。余韻を感じるおいしいバーベキューでした。コンサートの感動とバーベキューの味わいに南三陸町の人々が見せて下さった笑顔がこちらのメンバー一人一人を笑顔にしてくれました。この関わり、交わりが長く続けられますように。心から思いました。(熊谷K.O牧師)

 私は日系二世でアルゼンチンに生まれました。生まれて初めてボランティアに参加して、一人一人の交わりがありました。テレビの映像と、実際に自分がここにきて目にしたものが違っていることを感じました。ボランティアは、からだの仕事もありますが、違ういろいろなボランティアもあるし、また交わりもあります。色々な教会の人々も参加しているので様々な話を聞くことができるのも良かったです(太田T.H兄)

無事に任務を終える事ができてほっとしています(足利T.Y牧師)

 自分は学生であらゆる面で経験が浅く、資格なども持っていないので、自分に役に立てる場があるかどうか不安でした。けれども、それぞれのメンバーにそのメンバーの個性に応じた役職が割り当てられ、学生の自分にも適切な働き場がありました。今回の働きは現地の人々に安らぎや癒しをもたらすということがメインであったように感じました。特に二日目のバーベキューは震災で心身が疲れ切っているであろう現地の人々に安らぎを与えられるような良い働きであったと思います。現地の人々からの感謝の言葉はとてもうれしく感じました。自分は今まで行いのない信仰に悩んでいましたが、聖書の言葉をもとにしている今回のボランティア活動は、行いを持った信仰の第一歩を踏み出せたように思います。また実際に被災地を見る事が出来たことで今回の地震に対してより深い関心を持って「自分に何ができるか」を考えていくことができると思います。今後もこうした活動は続いていく必要があると強く感じました。(小山K.D)