2015年3月26日木曜日

第二十四次被災地支援訪問 参加者募集

福音伝道教団関係の皆様
以下の要領で、
第二十四次被災地支援訪問 参加者募集
日時 2015413日(月)朝~415日(水)夕


主な予定:南三陸(波伝谷仮設、慶明丸)、石巻(袋谷地東)、山の神平

※仮設での、交流が中心です。

募集人数 若干名 


募集期間 44日(土)早めに締め切る場合もございます。
                                         
参加について
☆費用:交通費、ガソリン代、宿泊費、食事の一部はイザヤ58ネットが負担します。
☆はじめての方はボランティア登録をおねがいします。
☆信徒の方の参加は、所属教会の牧師に事前にご報告ください。



参加の連絡先 
大泉キリスト教会(中川信嗣) 〒370-0521 大泉町住吉308
Email:ecc412sm@yahoo.co.jp  電話 0276-63-2329

         

2014年12月2日火曜日

2014年の活動

 あっという間に、2014年もクリスマスを控えた12月になりました。思わぬ入院手術が昨年の今頃、あり、その術後の回復を昨年の12月、1月を費やしました。しかし、教会の主な活動をゆっくりとはやってきましたが、東北の支援にチームの一員として復帰するのには10月に、一1年ぶりに南三陸、石巻を訪問することとなりました。 この間、チームを編成し、中川先生、田島先生が変わらぬ支援活動をし続けてきておりました。皆様の変わらないイザヤ58への支援、協力、またボタンティアとしての参加を感謝します。 今年一年の、イザヤ58の東北での支援活動の他に、福音派などの震災関連の大きな集まりにも出席する機会が与えられました。

「第三回東日本大震災神学シンポジウム」開催

2012年に「第一回の東日本大震災神学シンポジウム」が駒込の「女子聖学院クローンン・ホール」で開催されましたが。これは聖学院大学総合研究所、東京基督教大学の主催、アメリカのフラー神学校共催、JEA関係の震災支援組織が加盟しているDRCネットが後援しているもので、「震災の神学的意味」「支援と宣教のあり方」などを共に考える集まりで、2013年3月、そして今年も3月に開催されました。今年は「苦難に寄り添い、前に向かう教会」というテーマでリチャード・マウ博士(フラー神学校校長)を主講師として講演しました。 そして2013年3月にも開催され、2014年2月にも開催されました。そして今年も「第三回東日本大震災神学シンポジウム」が2月に開催され、フラー神学校、ホイートン神学校それぞれ3名の先生が主題講演をしました。特に、講師が「災害は、社会的弱者を露わにする」という言葉は支援を経験して、本当にそうだと思いました。分科会ではイザヤ58の鈴木が発題者の一人として「支援と宣教」について発題させていただきました。

JE宣教フォーラム

2014年9月に東京でJEA宣教委員会主催の「宣教フォーラム」の分科会では、震災支援で多くの支援ネットワークが形成されていることから、今後の地域の教派を超えた地域教会ネットワークの形成について発題させていただきました。

防災ネットワークの形成                         

今、東京の支援関係者の課題は、次回やがてくるであろう東京直下型地震への備えを、東北での支援ネットの経験から地域教会防災ネットの形成が叫ばれ、板橋、西武線沿線などで行政や福祉施設などを巻き込んだ防災ネットワークをクラッシュジャパンがコーディネーターとして活動が始まっており、横浜でも、そのネットワーク形成を目指してのために鈴木も微力ながらすすめております。

イザヤ58の第22次11月支援活動

(11月22日(土)から25日(火))

 すでにイザヤ58の支援ニュースレターで報告されている活動以外の今年の秋以降の活動について報告します。
11月22日(度)から25日(火)に11月支援を実施しました。毎年、この時期の支援は支援している仮設住宅に日用品などをクリスマス・ギフトとして支援していきました。
 当初、参加予定者が何人かおりましたが、健康上の理由などで、代表の鈴木と前回10月支援にも参加していただいた足利教会の万年安頼さんと二人で行くことになりました。今回は初めて祭日を入れての連休で、交通渋滞を予想して、朝6時に出発したのですが、ドライバーが休みなしで一気に運転して仙台には午前中に到着することになりました。

*全期間の行動は以下の通りです。 

l   11月22日(土)午前6時 足利出発
l   午前10時30分 仙台バプテスト神学校着 
l   午前中/ 支援物資購入調達
l  午後/ 塩釜にある保守バプテスト塩釜聖書バプテスト教会を訪問しました。ここには宮城ホープの拠点であり、宮城県の多くの支援関係グループ、教会が参加している宮城センキュネットワークの中心的教会です。イザヤ58ネットは「宮城宣教ネットワーク」には直接参加しておりませんが、YSP21の仙台バプテスト神学校や架け橋(聖協団西仙台教会)の代表の中澤先生などが関わっているので、その情報などは中澤先生経由で受けております。アメリカの宣教団たなどの宣教師たちが支援活動に関わって支援活動をしております。写真1
訪問した塩釜聖書バプテスト教会

l   拠点にさせていただいている仙台バプテスト神学校に宿泊

11月23日(日) 

l   石巻祈りの家の礼拝出席 鈴木が礼拝説教をしました。祈りの家は、メンターである仙台バプテスト神学校校長の森谷先生のソクラテス問答形式の礼拝説教がなされているので、ルカの福音書の「放蕩息子」の話から東北の文化の中で生きる少数者であるキリスト者の生活姿勢について問答させていただきました。


石巻祈りの家による仮設住宅への支援物資のお知らせ
l   午後から度々訪問させていただいている袋谷地東仮設でのお茶っこに参加させていただきました。石巻祈りの家の阿部さんが声かけしてくださり12名ほどの仮設の方々が来てくださいました。その全員が津波で家族や親族を亡くされた方々であったとのことでした。今回の訪問の目的は今年最後の支援訪問となるために、生活日用品を多少なりともj支援したいとのことでしたが、事前に阿部さんに問い合わせたところ、現地のニードを考えるならば、現地に支援物資の購入のお金を現地でつかってもらいたいとの要望があり、それならば一番わかっているのは石巻祈りの家であることを考え、購入物品をお任せして、相当する金額をイアや58が支援することにしました。年末に向かって「お餅」などが喜ばれることを聞いて、それは南三陸も同じではないかと南三陸での物資支援も「切り餅」「醤油」「カイロ」などにすることにしました。祈りの家の阿部代表の上手な話の導きで、とてもなぐやかなお茶っことなりました。石巻は海岸部の住宅が津波でやられましたが、住宅街も平地の中にあり、その住宅街の中にあります。根こそぎ平地の住宅が何もない中で、山の斜面に設置されている仮設が多い南三陸とは趣が異なります。しかし、住宅街と仮設が混在している地域は、また別な意味でその落差を見る思いでした。


11月24日(月)南三陸地域訪問

通い慣れた更地になった周囲に何もない道を海に向かってくるまで進んできいきますと、突然、今まで来た海の景色を一変させるようなピラミッドのような強大な土盛りが忽然と見えてきます。復興住宅のための地盤の嵩上げ工事、津波で崩壊した堤防をさらに高い堤防にするための海岸線の堤防工事で目に付きます。
 地元の人たちの気持ちは一様ではなくほとんどが「なんだか、いいのだか、悪いのだか」という曖昧な答えが戻ってきます。確かに防災を考えた復興住宅は必要、でも今までの生まれ育った故郷の景色とは違う様相になることへの不安や前に進みたいという気持ちが入り混じっているようです。


l  派伝谷仮設

波伝谷に興味を持つ映画監督が震災前から撮影していた
ドキュメントが映画化され各地で上映されております。

自治会長さんの三浦さん震災後、新築再開した漁師料理レストラン「慶明丸」を訪問したと、集会所に行き、支援物資の「切り餅」「カイロ」「醤油」などを小分けにした後に、慶明丸で昼食をいただきました。すでに波伝仮設の近くでは復興住宅の地盤工事も始まり、いずれは映ることになるそうです。仮設の方々が二箇所の復興住宅に分かれるようですが、これまでのコミにティーをどう再創造するか、それはすべての被災地の課題であり、同時にキリスト教会が築いた人間関係がそのコミにティーとどう関わるかが問われるでしょう。
今回訪問して初めて、仮設で4名の高校生に会うことができました。考えてみれば、いつも訪問する時は平日が主であるので、お会いするのは恒例の方が多かったのですが、今回は連休中出会ったため会うことができました。彼らに「何か必要なものはないかい?」と声をかけましたら「いいえ、大丈夫です。ここに来てくれるだけで感謝です」と言われました。

l  山の神平仮設訪問


ここは、私たちが支援活動に関わったのは昨年からでした。YSP21の中澤先生より、お茶っこ支援の要請があり、集会所のお茶や消耗品などの支援などを、中澤先生を通してさせていただいております。20個ほどの小さな仮説ですが、現在は転居されたりして残っているのは10個ほどの仮設で、山間部の中にある小さな仮説です。目立たないため支援物資が行き渡らず、他の大規模な仮設住宅などにいって支援をもらっていたという話を聞いております。年金生活者が多い仮設住宅が少なくありません。そういう方たちは、仮設を出た後の生活不安が解決できず、一歩前に進むことができません。仮設を出るということは、それまであった被災者の仮設住宅にいることによる様々な保護がなくなるわけです。しかし、仕事がない中で、生活設計のめどがたてられないというのが現実です。今後、復興住宅の建設はすすむでしょうが、震災がなければごく普通の生活ができていた方々震災のために取り残される可能性は少なくありません。今回、連休中で仮設に入居している南三陸の町職員お方もお茶っこに参加していただき、復興についての行政の側の考えなども少し聞くことができました。

l  支援物資について

今まで、私たちは出発前に、支援物資を購入するか、支援教会の方々による現物を提供して現地に運ぶ形が中心でしたが、今回は、現地で調達して提供する形にしました。皆様がこの支援活動のために提供してくださった資金をできるだけきめ細かく有効に用いたいと思っております。

震災支援の経験を通しての宣証神学の形成の必要

 イザヤ58の活動は支援活動だけでなく、支援に関わる中で、日本の文化の中でどう福音を文脈化して理解するかが多くの支援関係者の中での神学的な積み上げが求められております。震災前から福音派の中で、福音派のアイデンティティーの再理解が地味な形ですすんでいました。いわゆる「聖書信仰」を標榜する中で、広がりのある福音理解の神学の研鑽の必要が震災以降特に関心が集められております。

 東北の被災地支援の中で、信仰の純粋性を守ることと地域コミにティーとどう関わるのかという福音の文脈化が深く洞察することが問われます。その洞察の中で「福音派の福音理解」の再吟味がいろいろな所で問われはじめています。
 また震災支援の活動は教団教派を超えた協力の地域教会ネットワークがつくられつつあります。第五回日本伝道会議で竿代照夫先生(インマヌエル総合伝道団)は「教派をキリストの肢の一つと捉え、互いの特色と強調点を認め合い、尊敬を払いながら、しかし、協力できる分野で協力していく『協』教派的伝道を模索していくべきでは。私たちが本当の意味で一つとなること(ヨハネ1720)が、伝道の進展の鍵」ということを訴えましたが、東京の都市部ではすでに「防災」というテーマを鍵に行政や福祉施設をまきこんだ教派を超えたネットワークが形成されはじめております。 
私たちの教団も、さらに広がりをもった視点で社会を見つ、語る言葉と同時に社会の中で地域に生きるキリスト者と地域コミにティーとどう関わるかの理解が求められていると思います。
 








2014年5月26日月曜日

「宣証」とは何でないか

 休暇の佐渡の妻の実家でブログアップの原稿を書きました。ちょっと忙しかったのでしばらく間が空いてしまいました。けっこう、教団以外の先生方や宣教団体の方々が読んでくださっている方がいて感謝です。

 さて昨年、南三陸の支援に関わる仙台SBS(仙台バプテスト神学校森谷師)、かけ橋(聖協団、中澤師)、子供支援ネットSOLA(バプテスト教会連合国分寺バプテスト教会、米内師)、南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク(聖協団目黒教会、横山師)、聖協団清瀬教会(菅谷氏)の諸先生と共に、従来の福音宣教の考え方と違う切り口で被災地の宣教を考える宣証ネットワーク、YSP21がスタートしました。
そして、小さいものでありますが、昨年のローザンヌ日本員会宣教シンポジウム、JEA総会シンポジウム、第三回東日本大震災国際神学シンポジウムの分科会で鈴木が理解する宣証について講演させていただきました。

 最近、リバイバルを強調する超教派グループのニュースレターが送られてきました。代表的な先生が巻頭メッセージの中で「宣証」という言葉を使ってメッセージが記されていました。JEAや国際神学シンポジウムで「宣証」という言葉をあえて使用させていただきましたが、接点のないリバイバル系のニュースレターに登場したことには、多少の面映ゆさを感じました。「え、この先生まで使い始めたの?」というのが率直な感想でした。

 しかし、その先生のメッセージを読み、その宣教団体の活動方針やスタイルを考えると、私の理解する「宣証」とちょっと違うかなとも思いました。もちろん、新しい小さな支援ネットグループYSP21が言いだしたことなので、いろいろな方が、それぞれの様々な概念を持つことは当然のことです。YSP21の仲間の中でも森谷流宣証論、中澤流宣証論、米内流宣証論、そして鈴木流宣証論があっていいでしょう。

 いま、盛んに聖学院大学のメインラインの先生方や福音派の中でも「ホーリースティックな福音」とかローザンヌが発信している包括的福音という概念も、それぞれが重なる部分もあれば、ちょっと違う視点があるわけです。そして「宣証」をそのような福音理解の延長の中で理解する方もいるかもしれません。
 「鈴木先生、『宣証』と『宣教』と何が違うのですか、なぜ『宣教』と使わず『宣証』と言うのですか」とよく聞かれます。ちょっと禅問答のような言い方ですが、「『宣教』というと、『救い』というテーマを中心にして語られ、欧米の宣教論の発想がどうしてもついてまわるので、そこから違う視点から理解してもらいたい。そして『宣証』という言葉は支援の現場から始まっています。それぞれの先生の支援や教会の活動の現場から入っているので、目のつけどころがそれぞれ違う部分があります。たとえていうと一つの森に入るのが森谷口から入っていく道、米内口という入り口、中澤竜生口と言われる入り口、そして小さな入り口である鈴木口があるのです。更に「『宣教』は聖書から入ってから対象に向かって働きかけていきますが、『宣証』は対象の現実、生活、社会の課題から入って聖書を出口とするアプローチです」と。本人もわかっているのかハッキリしないトボケタ言い方になっています。
 この辺の禅問答的神学理解はどこからきているかというと私の恩師の大野キリスト教会宣教牧師の中澤啓介先生の「被造物管理の神学」、いわゆる中澤神学の影響があると思います。脱線になりますが、ぜひ中澤師の「被造物管理の神学」に牧師たちは注目していただきたいと思っております。私の「宣証」の理解はそのような神学の影響があることは事実です。

 しかし、いろんな入り口なのですが、おそらく、YSP21の先生方に一つ一つ確認はしておりませんが、それぞれ「宣証」という言葉の使用に同意している先生方の働きや語っていることで共通していることがあるということは私なり推察して言えます。

 それは「『宣証』とは何でないか」ということです。
 第一に、「宣証」は震災支援をきっかけに始まった目に見える教会員の数が増える教会成長論や伝道論ではないということです。
 震災支援の始まった当初、「リバイバルのチャンスだ」という声を聞きました。そういう部分もあるかもしれませんが、そのリバイバルとは何かと考えた時に、震災前の東北の教会が30名前後の教会が平均、あるいは自立さえ困難な教会があったことを考える時、それがたちどころに40名、50名、1000人の教会となる被災地の教会成長論ではないということです。
 JEA総会でシンポジウムなどでの私の講演が終わってから、多くの先輩先生方から、また宣教団体の方から講評や質問をいただきました。その中で、教会成長に熱心な若い先生から「鈴木先生、とても貴重な発題ありがとうございます。これで、さぞかし、先生の教会も成長間違いなしですね」と言われました。思わず苦笑いせずにはいられません。なぜかというと、私どもの教会も、教団も相変わらず牧師に献身する人の減少、教会学校の子どもの減少や教会会計のやりくりに悪戦苦闘しています。余裕で支援活動をしているわけでもないし、「宣証」ということの理解を牧師がもてたからといって、自分の教会の受洗者が震災前に比べて倍になりましたなどとかっこよく報告できるわけではありません。苦労は相変わらずです。要するに「宣証」によってたちどころに教会が倍、倍ゲームのように成長するような魔術的な力はないということです。
 また大きな教会へ、大きな教会へと信徒を動員する「繁栄の神学」に基づいた教会成長論ではないということです。

 第二に、「宣証」の最大関心事は、「何を語るか」から始まっているのではない。まず相手の必要、考えに対してディベートから始めるのではなく、まず相手の生活スタイル、考えをまず尊重することから始まる。キリスト教以外の宗教を断罪視しない。
 今年の2月に、JEA,TCU,聖学院大学、その他支援団体共催の第三回東日本国際神学シンポジウムが開催されました。メインの講師はフラー神学校の教授たちでした。そこで、私も 「宣証」について分科会でお話をさせていただきました。
要点をまとめると
1.    私たちのキリスト教の宣教は欧米の神学の影響を受けている。明治時代以来、キリスト教は西洋の宗教と多くの日本人が考えている。日本の文化脈化で大事な事は、異教社会の中で対話力を持つ事が大事である。
2.    偶像崇拝である日本の宗教を「悪霊」視した考えだけでは対話が成り立たない。
3.    「宣証」は「・・・ism」ではなく「・・・ist」に関心を持つ。これはYSP21の諸先生の問題意識を鈴木流に神学した結果です。アジアの文化の中で福音の真理を問いかけた名著「水牛神学」(著:小山晃佑/教文館)の中にある「仏教(Buddhism)ではなく仏教徒(Buddhist)に」という項目の中で小山師は以下のようなことを述べています。                     
 <仏教徒を理解したければ仏教を研究しなければならないことはいうまでもない。しかしながら我々の究極的な関心は仏教徒を理解することに向けられるべきで、仏教の理解ではない。キリストの福音にとって肝心なことは仏教ではなく、仏教徒である>
4.    東北の素朴な仏教的な信仰を持つ人たちの使う言葉、理解する言葉での中で語られることが大事である。

 「宣証」は他宗教に対してキリスト教を対抗させるためにメッセージを発信するところから始まっていない。ということです。最大関心事は、まず相手の人格に「寄り添う」ことからスタートします。私たちの持っている教えを伝えることから始まるのではなく(注:語らない、伝道しないということではない)、相手の言葉のフレームをまず理解する事から始まります。

 ユダヤ教のラビの問答に「誰もいない森の中で大きな木が折れて倒れた時、その音はするか」というのがあるそうです。みなさんはどう答えるでしょうか。「音はする」でしょうか「音はしない」でしょうか、そしてなぜそう答えますか?
答えは「音はしない」です。「音は誰か聞いている者がいた時に初めて発生する。聞く者がいないなら音はしない」というものです。
 私たちは今まで、伝道するといいながら実はキリスト教会の中だけしか通じない言葉を使ってはいなかったでしょうか。実際に、様々な社会的出来事に対してキリスト教会が発信するメッセージは教会の中ではわかるが、一般社会の中では何も効力のない、また一般社会ではわかりにくい言葉で発信してはいないでしょうか。震災支援は、そのような意味で「キリストの愛」とか「隣人を愛する」というメッセージがわかる言葉として発信できたことではないでしょうか。
 


 「宣証」を使うけど「宣教」は使ってはいけないなどというものではありません。そうではなく、この機会に、我々が福音というものをどう理解しているのか、そしてそれは本当に正しい福音なのかということを、支援活動を通して学んだ本質的なこと考え、どう自らの遣わされている日本の様々な地域にある教会の形成に役立てることが大切ではないかと考えます。
 「宣証」は被災地でも、また私が牧師として奉仕している教会でも、まだ実証されているものではありません。しかし、日本の教会は震災を通して多くのことを問われていると思います。震災支援の経験を一過性のものにしてはならないと考えます。
 同時に、被災地で支援と伝道の関係を神学することは、多くの教会の指導者が感じている日本の伝道の閉塞感を打ち破るためには、今までの当然と思われていた宣教(宣証といいながらこのように宣教という一般的な意味で使用していますが)の方法や福音の理解と提示の枠組みを根本から問い直す機会となればと願っています。
 これだけ多くの犠牲者がでて、これだけ多くの人的、物的材を支援に注ぎながら、その経験から何も学べない教会であるなら、教会は多くのことを問われるであろうと思います。